黒い指先は混沌に触れ「月が顔色を失くして」


県居の村
上乃の父が長を務める村。
旧耶麻台国勢力の微かな残り火の一つ。


そして、狗根国にとっての最重要監視区の一つ





「暇だにゃぁ」
「平穏とも言うな」

木陰に寝そべったシュヴァルツが大きく欠伸をする。
九峪は木の幹にもたれかかって座り、目を閉じて己の内の力の循環に意識を傾ける。
失われた魔力の補給になるわけではないが、この地に溢れる呪力を少しずつ取りこみ肉体を充実させていた。
魔術師にとって肉体の回復など二の次だが、肝心の魔力がなかなか回復せず魔術が使えない以上、肉体を武器とするしかない。
どうにも血生臭い世界である事だし、体を癒して置く事は今後の行動の幅を広げてくれるだろう。
大事な時に動けなくては意味がないのだ。

「折角当分の宿と食事の世話をしてくれるって言うんだから、遠慮なく世話になるさ」
「・・・本気で信用する気かにゃ?」

ジロッとシュヴァルツが薄目を開けて九峪を睨む。
九峪は伊万里達に連れられてこの村に来た時の事を思い出した。
当然の如く向けられる村人達からの警戒の眼差し。
幾ら村長の娘である上乃の口添えがあったとして、怪しげな余所者を簡単に村に入れるわけにはいかない。
県居の村にはかつての耶麻台国関係者が多数いるのだ。
万が一狗根国の手の者が村に侵入すれば取り返しのつかない事態に陥る事は容易に想像できた。
伊万里や上乃が九峪は方術士であると言ったとしても、深川は狗根国に囚われていたと言ったとしても村人達の意志は変わらない。
それもそうだろう。
九峪と深川、この二人が持つ雰囲気は他者とはかけ離れ過ぎていた。
到底隠しきれない違和感。
それが村人達の猜疑心を生みだしていた。
結局は上乃の父、県居の鶴の一声で九峪と深川の滞在が決まったが、依然として村人達の反応は変わらない。
近づいて来る者は伊万里や上乃、仁清以外にはおらず、それどころか常に遠巻きに監視でもするかのような視線を感じる始末である。
九峪もシュヴァルツもそうした行動は一切気にも留めない。
どうせ時期が来れば出ていくのだし、監視したければ好きにすれば良い。
こちらにとって不都合な領域まで手出ししてこない限り放置するつもりだった。
しかし、と九峪は思った。
今の状況はあまりにも都合が良過ぎた。
村に九峪達を入れるように宣言した時の村長の目はこちらを値踏みするような、どちらかと言えば好意的とは言えないものだった。
てっきり自分達を何かに利用する為に村に招き入れたのだと思ったのだが、一向にアクションはない。
あの時以来、一切顔を合わせる事はなかった。
単純に親切心で、と言う事はないだろう。
何を思っている事やら。

「ま、何とかなるといいけどな」
「適当だにゃ」
「あの男が何を考えているかは分からないが、この村程度の戦力で俺達を殺せるわけがないだろ」

剣や槍で来るならば相手が何十人いようとどうにでもなる。
過信しているわけでもないが九峪はこの世界の発展状況なら比較的簡単に生きていけると踏んでいた。

「随分自信があるんだな」

九峪が顔を上げると深川が近づいてくる。
心なしかどこか疲れているようにも見えて、九峪はにやっと笑った。

「あちこち引きずり回されたか?」
「あの屑共め・・・、私はこんな所にいつまでいるつもりはないぞ!」
「そんなことを大声で言うなよ」

深川は狗根国の連中に奴隷として捕まり、九峪が助け出したことになっている。
それ故身寄りのない彼女の身柄をこの村で預かろうと村の者が申し出ていた。
全く人が良すぎると九峪は半ば呆れているのだが。
元々そういう村だとは聞いていたがここまでとは思っていなかった。

「あいつらも親切でやってるんだからな。気が済むまで付き合ってやれよ」

上乃を始めとする女連中は深川が気兼ねなくここで暮らせるようにと、狩りや農作物の手入れなどのやり方を教えようと深川をあちこち連れまわしていた。
もっとも深川にすればいい迷惑である。
彼女達と過ごす時間はもはや拷問に等しい。
それぐらいならまだ九峪にからかわれていた方がマシである。

「ならばお前がやれ」
「お断りだ。俺は忙しい」
「どこがだにゃ?」
「見ての通りだ」

九峪は立ち上がり手でズボンについた土を払う。
ジッとしているのも飽きてきた。
さてどうするか・・・

「九峪さ〜ん」
「ん?ああ、上乃か」

自分を呼ぶ声が聞こえてきて、九峪は意識を切り替える。
仮面を被って偽りの自分を演じ、人から見られることを意識して受けのいい己を作り出す。

「やっぱり深川さんもここに居たのかぁ、やっぱり九峪さんの方がいいのかな?」
「深川も年頃の女ってことだろ?」

そう言いながらしっかりと深川を観察して楽しむ九峪。
怒りをなんとか隠そうとする深川の努力を心の中で笑う。

「九峪がもてるなんて初耳だにゃ」
「あ、クロくんもそう思う?」
「にゃ」

シュヴァルツという発音はどうもこの国の人間には難しいようで、そこで九峪はシュヴァルツのことは『クロ』と呼ぶように言ってある。
シュヴァルツとは元々ドイツ語で黒という意味なのだからまあ間違いではないだろう。
初めのうちは喋る猫として驚いていた伊万里、上乃、仁清であったが、猫という種族の持つ魅力故か瞬く間に受け入れられてしまった。

「で、何か用か?」





「何?」

何の前置きもなく切り出された言葉に九峪は思わず聞き返した。
人払いがされた村長の私室、目の前に座っているのは上乃の父である県居と数名の男達。
大柄な熊の様な厳つい者達を前にしても一向に変わらなかった九峪の表情に僅かに波が立つ。
眉を顰め聞き返す。

「狗根国の砦に襲撃をかけると言ったのか?」
「その通りだ」
「随分と思い切った事をやる。狗根国の兵士は精強なんだろ?勝算あっての事とは思えないが・・・」
「その為のお前だ」

繰り返された文句に九峪はなるほどと頷いた。

「だから親切に今まで食事と住まいを与えてくれたと、そう言う事か」

ジッと自分の様子を窺う無数の視線。
憎々しげに、それでも何一つ不満を口に出さず九峪を見据える。
それでいて彼らは何かを期待しているようにも見えた。
九峪は県居の目を真っ直ぐ覗き込んだ。
不機嫌そうに見返す彼にどこか感情を押し殺している印象を覚える。
何故彼が自分達の様な不審者を受け入れたのか、ずっと考えてきたのだがようやく答えが出そうだ。
少しお遊びに付き合ってやるとするか。

「で、何時やるんだ?」
「やってくれるのか?」
「食事の分ぐらいは働いてやるさ」

誰かが溜息を零す。
それはきっと安堵によるものなのだろう。
その意味がどうであれ。

「明日の夜だ。村の者がやったと思わせたくないから少人数でやる。くれぐれも上乃や伊万里には悟られるな」
「分かった」

九峪の目が楽しげに細められた。





To be continued



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