帝国の兄弟 第9話


「兄上、お久しぶりです」
「ルルーシュ!どうしたんだい、その顔は!?」

オデュッセウスの第一声はお互いの無事を確かめあう言葉でも、現状の説明を求める言葉でもなく、久しぶりの再会を祝う言葉でもなかった。
そんな兄の言葉にルルーシュは苦笑した。
ロロにも何度も心配され、集まって来た諸侯にも会うたびに驚かれる。
アッシュフォード公爵には幾度も仮眠をとるように告げられたが、その度にルルーシュはそれを固辞し諸侯等に指示を出し続けていた。
先ほど自分でも鏡を見て確かめた顔がどうなっているのかは分かっていた。
疲労の色が酷く眼の下には分厚い隈ができ、肌や髪の艶も悪くなってきている。
それでも見る者を圧倒する美貌だけは、異様な目の輝きによって平時とは違った方向で益々磨きがかかっていた。

「少し寝ていないだけですよ」
「ルルーシュ、こんな時に眠れと言う方が無理かも知れないけれど、これでは倒れてしまうよ」
「ご安心ください。兄上の即位が済めば休憩をとります」

オデュッセウス達が連れて来られたアリエスの離宮はこの戦乱時にあっても美しくいつもの平穏を見せていた。
庭園の中を彼等は足早に進んでいく。
離宮の周囲は既に厳重な警備が敷かれていた。
上空を飛びまわる幾つもの部隊、飛竜やグリフォン、ペガサス等の幻獣の嘶きが耳に届いた。

「ルルーシュ、父上は本当に亡くなられたのかい?」
「死体をこの目で見たわけではありません。ですが俺は既に叔父上の配下に追いかけられ反逆者扱いを受けたんです。それは兄上も同じでしょう?」
「それはそうだが・・・」
「そもそも皇宮より父上の病気の連絡すらなかったんですよ?後宮には皇妃らが残られていた筈、それなのに情報が漏れてこないという事は既に皇宮はアルブレヒトに乗っ取られている事になる。これは紛れもなくアルブレヒトによる帝位の簒奪です」

離宮の扉が開かれ、ルルーシュは振り返った。
後を着いて来たオデュッセウスとカノンにメイド達が近寄って来る。

「兄上とマルディーニ卿は着替えて来て下さい。我々は大広間にてお待ちしていますので」
「ルルーシュ。先ほどの即位とは・・・」
「着替えれば分かりますよ。それで後ほど」

足早に去っていくルルーシュの背をポカンと眺めて、オデュッセウスはカノンやメイド達に促されて別室へと向かって行った。
そこに用意されていた礼服を見て、オデュッセウスはルルーシュの思惑の一端を知る事となる。





白の豪華な儀礼服を戸惑い気味に身に付けて、渡されたマントの装飾の多さに驚く。
オデュッセウスは体にズシリとかかる重さを感じながら、素早く着替え終えていたカノンを連れて離宮の大広間へと向かった。
離宮の内部は何度も訪問している為良く分かっているが、廊下を歩く人々の姿が見られずやけに人が少ない事が気になった。
ルルーシュが暇を出したのだろうか。
妙に閑散とした雰囲気が何とも不気味に不安を掻き立てる。
広間の手前に来た時、数名の騎士と共にルルーシュが扉の前に立っている事に気がついた。
彼等もオデュッセウスとカノンの姿に気がついてサッと扉の前から横へと引いた。
ルルーシュやジェレミアも既に正装に着替えている。
滅多に見る事の出来ないそのルルーシュの麗しい姿にオデュッセウスは少しだけ得をした様な気分になった。
黒の華やかな衣装とマントを肩から掛けたルルーシュがオデュッセウスの前に立った。

「兄上には覚悟を決めて頂きます。この先には北部の主だった貴族の当主達が集まっております」

ルルーシュの顔から笑みが消える。
視線一つで空気が変わった。
これはまるで、とオデュッセウスとカノンは目を見張る。
見上げられているにも拘らず、頭上から抑えつけられているかの様な迫力が今のルルーシュにはあった。

「私は兄上にこの場で皇帝として即位して頂くつもりです」
「ルルーシュ、君は・・・」
「簒奪者達がアルブレヒトを擁立するように、我々にも対抗馬としての皇帝が必要なのです」

中心に立つ者がいるだけで士気は大きく違ってくる。
しかもそれが皇帝ともなれば尚更である。
特にゲルマニアは皇帝に対する忠誠心が弱い国、象徴となる要が無くてはバラバラに崩壊する可能性も秘めていた。
だがオデュッセウスは静かに小さく首を横に振った。

「ルルーシュ、私は皇帝の器ではないよ」
「オデュッセウス様!?」
「黙っていてくれ、カノン。私は父上を見てきて常にそう思っていたんだ。私には素質が無いよ。ルルーシュ、皇帝になるなら君の方が相応しい」

神妙に、どこか悲しそうな口調でオデュッセウスが言う。

「父上の後を継げない事は残念だけれど、この国の為には・・・」
「私では無理なんですよ、兄上」

オデュッセウスの言葉を遮って、ルルーシュが口を開いた。
紫の瞳が揺れる。

「私が皇帝になれば、南部の貴族達は徹底的に、死に物狂いで抵抗を続けるでしょう。彼等と私は犬猿の仲ですから彼等は降伏すると言う選択肢を選べなくなる。そうなればゲルマニアの内乱は長く続いてしまう。その結果として民が犠牲となり外国の介入を受ける可能性も出てきてしまうのです」

だからこそ敵対した貴族達が降伏できる、あるいはこちら側に寝返る為の落としどころを作る為にオデュッセウス皇帝の存在が必要だった。
また、中立を決め込んでいる貴族達もオデュッセウスならば恩を売って実益があると思うかもしれない。
ルルーシュは優秀で、オデュッセウスは凡庸だ。
だがルルーシュではその才能ゆえに障害も多かった。
それが足枷となる。

「確かにシャルル皇帝、父上は優れた皇帝でした。ですがそれはあの時代だからこそ必要とされたのです。父上の強権政治と粛清に皆恐れ疲れている。もうそのような時代は終わりにしましょう。新たな時代を迎える為にも兄上の様な方が皇帝になるべきなのです」
「私は・・・」

逡巡するオデュッセウス、俯き加減で床をジッと見つめて悩む。

「オデュッセウス殿下」

カノンが跪く。
頭を垂れ、意を決して口を開いた。

「シャルル皇帝とは違い殿下は人の命を大切になさるお方、私は主がそのような人物である事を誇りに思っております。何をシャルル帝と比べる事がありましょうか。自信をお持ち下さい」
「カノン」

僅かに顔を上げたオデュッセウスの目から一筋の涙が流れる。
ずっと自分の凡庸さが好きではなかった。
偉大な父親に憧れ、歳離れた第三皇子の偉業を聞く度に羨ましいと思った。
彼らの様になりたくて、しかしどれほど努力を重ねても彼らはそのはるか先を行く。
周囲の者達が自分を何と評しているかを知っている。
血筋だけの皇子。
だけれどそれが今はそれを卑下するつもりはない。
純粋にオデュッセウスを必要としてくれる人がいる。

「そうだな。君や父上と比べる必要はないか」
「それでは兄上」
「私はね、君の言葉に少し救われた様な気がしたよ」

涙の後を恥ずかしそうに指で拭って、オデュッセウスは言った。

「情けない皇帝になるかもしれないが、その時は容赦無く叱ってくれ」
「ええ、全力で、ね」

お互いに頷き合って、オデュッセウスは扉の前まで進んだ。
これを越えればもう戻る事はできない。
目を閉じる。
そして再び目が開かれた時、オデュッセウスの瞳から怯える色は消え去っていた。
ジェレミアが扉を開ける。
新しい風が流れ込んでいく。
揺れるマントを捌いてオデュッセウスは紅蓮の絨毯の上を歩いて行った。
その後からルルーシュとカノンが続く。
居並ぶ貴族達が一斉に佇まいを直して彼等を注視した。
北部の有力な家の当主がほとんど余す事無く揃っている。
アルブレヒトが皇帝を僭称してまだ時間はそれほど経っていない。
それにもかかわらずこれほどの短時間で北の諸侯が揃ったという事実、ルルーシュの手回しの良さが窺えた。
カノンはその手際の良さに内心舌を巻く。
皇族を主に擁く者は皆一度は己の主君を皇帝の座に即けたいと思うものである。
それが利権の絡む欲望、尊敬や親愛による贔屓目、あるいは真に皇帝に相応しい人物であるという確信によるものなのかは人それぞれであるが、カノンは自身の主君こそが皇帝に相応しいと思っていた。
皇族の中で一際異彩を放つルルーシュと言う存在に隠れてしまい目立たないオデュッセウス。
一時期はルルーシュの排除をも真剣に考えたものである。
今はその考えが間違いであった事を思い知らされた。

オデュッセウスの戴冠式は略式で進められた。
本来戴冠式は皇宮でものであり、しかも今は内乱の真っただ中。
時間との戦いでもある。
オデュッセウスの宣誓と神官の祈祷、そして戴冠。
自らの手で頭上に冠を乗せたオデュッセウスが参列者達へと振り返った。
貴族達からの祝辞は代表してルルーシュが述べる。
式の全てが無事終了し、途端に厳かな雰囲気は消え去った。
これから彼等を待っているのは戦だ。

「オデュッセウス陛下」

カノンが布で包まれた細長いケースを差し出した。
オデュッセウスが滑らかな布の覆いを捲り、ケースを開けて中からそれを取り出した。
それは杖だった。
と言ってもメイジが魔法の使用に用いる物とは違い、高価な石や金箔の飾りの施された儀礼用のものである。
オデュッセウスはそれを手に取ると、ルルーシュの名を呼んだ。

「ルルーシュ」
「はい」

前に進み出て、跪くルルーシュ。
そを見てオデュッセウスはプライドの高いルルーシュが頭を垂れている事に驚いて、そしてそんな呑気な事を考えている自分に苦笑した。

「貴殿にこの元帥杖を与える。ゲルマニア軍を指揮し、先帝を殺した簒奪者を討ち取って欲しい」
「Yes, your majesty. 陛下の御為、反逆者を討ち取り父上を敵を取って見せましょう」

ルルーシュが杖を受け取る。
この瞬間を持って、オデュッセウス皇帝に従う諸侯軍は全てルルーシュの指揮下に入る事となった。
ルルーシュの計画していた反攻作戦は一気に加速を始める






To be continued






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