帝国の兄弟 第12話


ユーフェミアはルルーシュから届いた手紙を読んで少々面食らった。
あの過保護なルルーシュの事だから絶対に戦場に出てくるなとでも書いてあるのだろうと思い、封を切って手紙を読んでみればそこに綴られていたのは協力を仰ぐ文章であった。
ルルーシュがユーフェミアに望んだのは東部の貴族達の説得とそしてもう一つ、戦略上重要となるであろう人物の捜索。
勿論これはルルーシュなりの気遣いである。
こうでもしなければユーフェミアはオデュッセウス達を助けたいと言って家の者を困らせたであろうし、無謀な真似をされても困る。
そして何より、彼女が自分が何も出来ない事に対して罪悪感を抱く事を避けるため、ルルーシュはあえて比較的安全な役目を与える事でユーフェミアの暴走を避けようとしたのだ。
ユーフェミアを通じて連絡を受けたファランクス老公爵はこれを快諾。
アルブレヒトが皇帝の地位に就けば皇族リ家を擁する自分達を廃そうと企んでくる事は明白であるし、何よりもここで恩を売っておけばオデュッセウス即位後での東部の利権の一部を占有する事も叶うだろう。
その為にもここはルルーシュの案に乗り、オデュッセウスに味方する方が都合が良い。
そう判断した老公爵は直ちに近隣の自治都市群に要請し軍を編成。
次期皇帝のお墨付きという免罪符を盾に東部の掌握に乗り出した。
また、ユーフェミアとリ家の騎士団はルルーシュからの依頼を受けて行動を開始。
アルブレヒトの予想を超えた速度で東部での動きが活発化していく事となる。





彼女は生まれて初めて受ける扱いにただ怯える事以外に何も出来なかった。
時折何処からか吹いて来る隙間風に手足を縮こまらせ、ぎゅっと細い両腕で足を抱く。
冷たい石畳、暗い牢の中は恐怖を一層色濃いものへと変えていった。
窓もなく壁の罅割れから差し込む光だけが昼夜を知る唯一の手掛かりであった。
ここがどこなのかは分からない。
だが首府からは随分離れた場所のような気もした。

「お養父さん・・・」

彼女はぽつりと呟いやいた。
血の繋がりのない養父、実父の親友であったと言う彼は今どうしているのだろうか。
突然に養父と住んでいた家に押し寄せてきた兵士達、自分を人質に取られ抵抗する事が出来なかった養父が兵士達に囲まれて連れて行かれるのが彼女が最後に見た光景だった。
養父が騎士として名の知られた存在であると言う事は彼女も知っていた。
きっと自分さえいなければ一人で逃げられたに違いない。
足枷になった自分を憎む思いが彼女の中で心を軋ませていた。
自分をここに押し込めた兵士は時折食事を持って来ては自慢げに外の世界の事を話していく。
それによれば、養父は北の貴族達を率いる皇子達と戦わされるのだという。
涙が零れた。
養父が奴隷のように戦わされる事が悔しかった。
厳つい顔に似合わず穏やかな人柄であった彼が敬愛したシャルル皇帝に刃向かう様な立場に立ち、その子供達に牙をむく。
どれほど苦しんでいる事か、彼女には痛いほどに養父の気持ちが理解できた。
だが同時に皇子と自分を秤にかけて自分の命を取ってくれた事に対する喜びも少なからず心の奥に存在している。
それがまた、彼女を苦しみの底に追いやる一因になっていた。
せめてここから逃げるだけの力があれば良いのに。
しかし非力な身に何か出来るわけでもない。
震える体を抱きしめ、ただジッと耐える他何もできない。

「おい、食事だ」

粗野な男の声が牢に響き渡った。
ビクリと体を震わせ、現れた男の姿を怯えた表情で恐る恐る見上げる。
そんな仕草一つ一つが男の嗜虐心を煽り、男の顔に浮かんだ色に彼女は一層怯えた。
舐めまわす様な執拗な視線が体を汚していく様で顔を伏せてギュっと目を瞑り男が消えるのをただひたすらに待ち続ける。
唯一牢にいる事を感謝する瞬間であった。
鉄格子で男との間が区切られていなければ今頃きっと狂っていただろう。
そんな時だった。
不意に階下で争うような声と破壊音が響き渡った。
冷たい床に触れれば微かに震動が伝わってくる。
ハッと顔を上げると牢の前に立っていた男も懐から杖を抜いて身を翻し階下へと降りていった。
しばし続く物音、やがて幾つかの悲鳴と共に階下は静かになり、数名分の足音が階段を上ってくる事に彼女は気づいた。

「本当にここか?警備は厳重だったが、人がいそうな気配は・・・」
「おい、誰かいるぞ」

若い男の声、現れたのは若い二人の騎士だった。
身だしなみもきちんと整った一目で良家の子息であると分かる出で立ち。
平素であれば少し照れて顔を下げるだけで済みそうであったが、それでさえも今の彼女にとっては恐怖心を煽るだけ。
アンロックの魔法で鍵を開け、青年が牢の中に足を一歩入れた瞬間、彼女の喉から空気を切り裂く様な悲鳴が迸った。

「アルフレッド、何してるんだよ!」
「い、いや、何もしていないぞ?!」

もう一人の青年、バートの言葉に必死になってアルフレッドは頭を振った。
慌てて牢の外へと飛び出る。

「落ち着いてくれ、私達は君を助けに来たんだ!」
「いやぁあああッ!!来ないで!!」

どうにも理性的な判断はできないようで彼らは顔を見合わせて眉を顰める。
困り果てた彼等の後ろから、悲鳴を聞いて駆けつけてきたアンドレアス・ダールトンが現れる。

「お前達、何をしている」
「ち、父上、誤解です!私達は何も!」
「この子が異常に興奮してしまって・・・」
「む・・・」

すすり泣く音が静かに牢に響き渡る。
困り果てた男達の元へ一つの柔らかな声が届く。

「何をしているのですか?」
「ユーフェミア様!何故このような所へ!?」
「ファランクス卿に連れて来て頂きました」

自分の護衛をしている女性騎士の名を挙げて、ユーフェミアは彼等の間をかき分けて前に出た。
牢の中の少女の姿を目にしてユーフェミアは進んで牢の中へと入っていく。
騎士達の止める声にも耳をかさない。
震える少女の前に屈むとそっと顔を覗き込んだ。
薄桃色のドレスが汚れる事も厭わずに、ユーフェミアはただ優しい笑みを浮かべる。
泣いていた少女は突然現れたユーフェミアの姿に今まで感じていた恐怖を忘れて見惚れた。
自分が抱いていた女性としての理想を完璧に備えており、まるで闇の中に輝く宝石の様に彼女の眼には輝いて見えていた。
もはや背後に控える青年騎士達など眼中になかった。
差し出された手を思わず掴む。

「大丈夫、安心して。あなたは私が守って見せるから」
「・・は・・はい・・・」

返事を聞いて背後の者達もホッと胸を撫で下ろした。
ユーフェミアは彼女の濃緑色の髪に付いた汚れを払う。
そして自分が来ていた外套を脱ぐとそれを彼女の上に纏わせ軽く抱きしめる。

「あなたはお名前はなんというの?」
「あ・・・、その、私の名前はニーナ・ヴァルトシュタインです」
「まさかヴァルトシュタイン卿の!?」
「養父を知っているんですか!?」

思わず声を上げたダールトンにニーナが尋ねる。

「勿論です。ですが、何故あなたがこんな所に?」

その問いにニーナはここに連れて来られた経緯、牢番から聞いた事を交えて話した。
途端に皆の表情が変わる。
特にダールトンとファランクス卿の変化は劇的であった。
戦場で肩を並べた事のあるダールトンとロイヤルガードとして部下と言う立場にあったファランクス卿だからこそビスマルク・ヴァルトシュタインの持つ力を正確に理解していた。

「ヴァルトシュタイン卿が、オデュッセウスお兄様と・・・」
「それはまずいですな。ヴァルトシュタイン卿が戦場に出るとなればどれほどの犠牲が出る事になるか分かりませんぞ。時間的にもそろそろ主力軍同士がぶつかる時間です」
「お願いします、ユーフェミア様!私をお養父様の元に連れて行って下さい!」

それを聞いてユーフェミアはすぐに頷いて見せた。

「分かりました。あなたをヴァルトシュタイン卿の元へ連れて行きましょう。ファランクス卿、彼女と私をオデュッセウスお兄様達の元へ連れてって下さい」
「お待ち下さい、ユーフェミア様!今何と!?」
「止めても無駄です!私も彼女と共に行きます!」
「しかしあなたにはまだ東部の貴族の説得が!」
「それはおじい様達に任せれば大丈夫です。これは私にしかできない事なんです!」
「どこがですかッ!」

ユーフェミアの戦場行きを止めようとするファランクス卿とユーフェミアの間で火花が散る。
ニーナやダールトン達は割って入る事も出来ずにただ黙って見ている事しか出来なかった。
そしてやはりと言うべきか、折れたのはファランクス卿であった。

「仕方ありませんね。あなたも御兄弟に似て強情でいらっしゃる・・・」
「ベアトリス!?」
「仕方ありませんよ、ダールトン卿。しかしユーフェミア様、戦場では私の指示に従って下さい。その一点だけは譲れません。お約束して頂けますね?」
「分かりました。あなたに従います」

神妙に、しかし嬉しそうに頷いたユーフェミアからダールトンに振り返り、ベアトリスはユーフェミアの代わりに指示を出す。

「私はユーフェミア様とニーナ嬢をオデュッセウス殿下の元へお連れします。ダールトン卿とグラストンナイツの方々はこのまま捜索活動を続行して頂けますか?」
「うむ・・・、仕方ない、そうするとしよう。だがベアトリス、戦場では何があるか分からん。くれぐれも注意を怠らぬようにな」
「勿論です」

ベアトリスはニーナを支えるユーフェミアの肩をそっと押して階下へと誘っていく。
残されたダールトンらは広げた地図の上にバツ印を書き込んでいった。
彼等が捜している人物はここに監禁されてはいなかったのだ。

「ここでもないとなれば、あとは候補は十程ですね」
「明日には回り切れるだろうな」

しかし、とダールトンは思う。
ビスマルク・ヴァルトシュタインの養女が捕えられている所を見つけるとはついていた。
帝国最強と謳われた騎士の実力は伊達ではない。
かつてトリステインの伝説、烈風のカリンに唯一手傷を負わせた男だ。
いかにルルーシュが優れた軍才をもって戦略を立てようと、彼の存在一つで軍が壊滅する恐れもある。
それを防ぐ事が出来る可能性を自分達は掴んだのだ。
ダールトンは天運というものがオデュッセウス、そしてルルーシュに向かって流れているのを感じた。





その頃、ガリアに留学中のクロヴィスも祖国での内乱の情報を受け取り、戦場へと向かおうとしていた。

「クロヴィス殿下、どうかお止め下さい。危険ですぞ!」
「何を馬鹿な事を言っている!そんな事は当然だ」

自分の行動を留めようとするバトレーにクロヴィスは怒りを持って答えた。

「オデュッセウス兄上が、ルルーシュが、ロロが、ユフィでさえ戦っているはずだ。それにもかかわらず、私には外国から指をくわえて見ていろと言うのか!」
「殿下の御身を思えばこそ、今戻られては危険です!」
「黙れ!」

クロヴィスが声を荒げる。
彼等が宿泊所としているゲルマニアの大使館、そこの職員達が皆一斉に首を引っ込める。
バトレーらの息がかかった者が集まっただけはあって流石にアルブレヒトの魔の手はガリアまでには伸びていないらしい。
しかしそれも時間の問題だ。
戦況如何で大使館も安全ではなくなる。
逃げるにしろ戦うにしろ、直ちに動く必要があった。

「私は政治の才がなかった。魔法もあまり得意ではない。皇族としては失格だろう。芸術の道に進み皇族としての役目をルルーシュ達年下の者に押し付けてしまった愚か者だ。だがな!私は彼等が命をかけて戦っている時に、安全な所で一人傍観している様な卑怯者にだけはなりたくない!」

肩で息を整えて、側近達を睨みつける。
彼等はクロヴィスの言葉にただ聞き入っていた。

「私にも何かできるはずだ。すぐにゲルマニアに戻る。出国の準備をしろ!」
「Yes, your highness!」

バトレー以外の者が大使館中に散っていく。
クロヴィスは疲れた様子で椅子に座った。
両手を膝の上で組んで大きく息を吐く。

「怒鳴って悪かった、バトレー」
「い、いえ!私の思慮の浅い発言、お許し下さい」
「いや、いいさ。ところで私には今後の見通しというものがないのだ。済まないが一緒に考えてくれないか?」
「今後、ですか・・・、ではひとまずトリステインへ行かれてはどうですかな?」
「トリステイン?何故だい?」
「ガリアからゲルマニアへ向かえば反皇子派の貴族の領地に出てしまいます。ゆえにトリステイン経由でオデュッセウス殿下の領地へ向かうのがよろしいかと」
「なるほど、そうするか・・・」

そうして彼等はガリアからトリステインへと向かう事となるのだが、この行動が後にゲルマニアの戦況に大きく関わってくる事になる。






To be continued






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