帝国の兄弟 第15話


「何!?トリステイン軍がゲルマニアに侵攻!?」

ルルーシュは思わず耳を疑いたくなった。
想定していた状況ではあるが、まさかこのタイミングで介入してくるとは。
アルブレヒト軍と同調して攻めてくるという最悪の状況は避けられたが、それでも聊かまずい状況である。

「それはトリステイン国軍なのか、それともトリステイン諸侯軍なのか?」
「え、え?」
「王旗は、王家の紋章は掲げられていたかと聞いている」

トリステインの王家の紋章は百合を象ったもの。
その旗があればトリステインは王家の者が主導してゲルマニアに攻めて込んでいるという事になる。
ルルーシュは兵士の言葉を待った。

「い、いえ、王旗はなかったと思います。数も三千ほどで・・・」
「ならば諸侯軍と言う事か。おおかたオデュッセウス陛下の所領の防備が緩んだ所を狙った、と言う所でしょう」

王軍でなければ容赦なく蹴散らしたとしてもどうにでもなる。
と言ってもトリステイン政府が長く傍観しているとは思えない。
始めは一部の貴族の勝手な暴走として政府の関与を否定するであろうが、こちらが内乱の始末に梃子摺り侵略者達を排除できなければ国を上げて介入してくるだろう。
何せトリステインにしてみればゲルマニアは成り上がりの新興国、しかもその国がトリステインの国土を圧迫する脅威となっているのだから、口実さえあれば足を引っ張ろうとするのは間違いない。
直ちに侵入したトリステイン諸侯軍を国内から叩きださねばならない。
しかしそれは進路を反転するという事だ。
折角ここまで来て、ヴィンドボナを前にしてトリステイン軍を叩きに戻る事になろうとは。

「もしやこれは・・・」
「ええ、アルブレヒトの手引きによるもの、と言う事も十分にあり得るかと」

オデュッセウスやカノンが抱いた疑念をルルーシュは肯定してみせた。
あの男ならばやりかねないだろう。
アルブレヒト三世側は先の敗北でかなり追いつめられた形になっている。
反撃の戦力を整える為、あるいは中立の貴族の懐柔の為の時間を稼ぐにはトリステイン軍を介入させるのは悪くない手だ。
これを無視してヴィンドボナへ向かうという選択肢はあり得ない。
多少のトリステイン軍ならばオデュッセウス軍が壊滅してしまうだろうからゲルマニアの国土は削られない。
また、それによりヴィンドボナに向かう戦力に被害が出て弱まればアルブレヒトにとって儲けもの。
おそらくアルブレヒトは己の勝機を内乱の長期化の中に見出したのだろう。
そしてそれは北のスカンザ諸国との抗争を受け持つルルーシュ達北部貴族にとって最悪の展開と言えた。

「下手をすればトリステイン以外の王権国家の介入もあり得るというのに、どれだけあの男は馬鹿なんだ!」

それでも負けるよりは良い、そう考えたのだろうか。

「ルルーシュ」

オデュッセウスの声にルルーシュは振り向いた。
兄の求める様な視線。
ルルーシュには彼が何を言いたいのか、分かっていた。
トリステイン軍の攻撃を受けているのはオデュッセウスの領地だ。
そしてそこには今十分な兵力が残っているとは言い難い。
このまま放置すれば多くの民が略奪を受け、土地が荒らされる事になるだろう。
オデュッセウスはそれを防ぎたいと思っているのだ。
だからこそ、ルルーシュの言葉を待っている。
ルルーシュは頷いた。

「反転しすぐにトリステイン軍の排除に向かいましょう。ヴィンドボナへの圧力は今まで通りエルンストとエニアグラムに任せ、トリステイン軍を排除し次第ヴィンドボナへ向かいます」
「ありがとう、ルルーシュ」
「いえ、このままトリステイン軍に暴れさせておくのは危険極まりない。背後を突かれてはまずいですから」
「それではすぐに各軍に通達を行います」
「任せたよ、カノン」

カノンを始めとする諸侯が天幕の外へ出ていくの見計らって、オデュッセウスは大きくため息をついた。

「慣れないな、皇帝と言うのは」
「十分様になっていますよ」
「そうかい?ルルーシュに褒められると嬉しいよ」

オデュッセウスが笑う。
不意に天幕の中に誰かが飛び込んできた。
視界を過るピンクの髪と嬉しそうな声。

「オデュッセウスお兄様、ルルーシュ!」
「ユ、ユフィ!?何故ここに!」
「どうしたんだい、ユフィ。こんな所に出て来て」

慌てふためくルルーシュとどこかぼんやりした様子で尋ねるオデュッセウス。
ユーフェミアはにっこりと笑った。

「私にも何かお手伝いできないかと思って!」
「そうなのかい、ありがとう、ユフィ。しかし一人で来たのかい?」
「いいえ、ファランクス卿に連れて来てもらったの」

その言葉に遅れて、天幕の入口がめくれ一人の女性が中に入って来る。
眼鏡をかけ腰ほどまでに髪を伸ばした女性。
東部の大貴族、ファランクス公爵家の才女ベアトリス・ファランクス。
ユーフェミアにとっては姉の様な存在でもあった。

「お久しぶりです、オデュッセウス様、ルルーシュ様」
「ファランクス卿、私はユフィには別の仕事を頼んでおいたはずですが・・・」
「そちらは順調です。ルルーシュ様。東部の貴族は皆オデュッセウス様の皇帝即位を支持する方向で纏まっております」

ベアトリス・ファランクスの祖父は東部を統括する大貴族。
その彼がここにベアトリスを遣わしたという事は完全に東部の意思が統一出来たと言う事だろう。
東部の貴族がこちら側に付いた今、内乱の勝敗は決しつつあるという事か。
ならば早急にトリステイン軍を壊滅させる必要があるだろう。
だがトリステイン軍は決して弱くない。
人口におけるメイジの比率はハルケギニアトップであり、魔法絶対主義の国是は質の高いメイジを生み出している。
たかが三千の敵と侮れば取り返しのつかない損害を受ける事になるだろう。
そしてこちらは先の戦いで疲弊している。
ビスマルクとの戦いは多くの優秀なメイジ達を戦列から外す事になった。
ルルーシュの騎士であるジェレミアも今は休養中だ。
負傷者と予備戦力としてここに六千をおき、連れていけるのは三千から四千程。
上手く領内の砦等を使って防御の後反攻というのが最も犠牲の少ないプランだろう。

「ファランクス卿、東部の兵力はいつ派遣される?」
「既にヴィンドボナへ向けて発っております。おそらくは一両日中には主要街道及び近隣の要塞を制圧出来るかと」
「ではその後、我々と指揮下に入って頂く。よろしいですね、陛下」
「うん、そうしてくれ」
「畏まりました。そのようにこちらから連絡をしておきましょう」

ベアトリスがオデュッセウスとルルーシュに対して恭しく礼を取る。

「ねえ、ルルーシュ、私にも何かお手伝いできないかしら」

ユーフェミアの言葉にルルーシュは一旦思索を止めた。
その申し出はありがたいが、正直戦場に彼女の出番は少ない。

「そうだな。ユフィは人気があるから、負傷者や疲れている兵士達の慰撫の為に陣地を回ってくれないか?」
「分かったわ」

ふとルルーシュはここにクロヴィスがいれば、主だった皇族が皆揃うのにと思った。
オデュッセウスを見れば彼も同じ事を考えていたらしい。
不安げに口が開かれる。

「クロヴィスはどうしているのかな」
「兄上はガリアにいるはずですが・・・、まあ真っ直ぐゲルマニアの南部に行くような愚は犯さないでしょう。側近も付いていますから大丈夫ですよ」
「だといいのだけれど・・・」





隣接する領地へのトリステイン軍の侵入、ツェルプストー辺境伯にとってこれは一大事ともいうべき事態であった。
長年トリステインの名門貴族ヴァリエール公爵と睨み合い、時には杖を交える事もあった。
ゲルマニアの対トリステイン戦略の要たるこのツェルプストー領。
トリステインがゲルマニアに攻め込んできたとなればすぐにでも動く必要があった。
ましてやその攻め込まれた領地が皇族の直轄地であれば尚更だ。
しかしそれには幾つかの条件を潜り抜けなければならなかった。
まず第一にヴァリエール家の動向。
万が一救援に向かった後でヴァリエール家が軍事行動を起こせばツェルプストー領も危うくなる。
第二に現在進行形で皇族間での皇位継承争いが起きている事。
現在オデュッセウス皇子側が有利に事を進めているが、このトリステインとの戦いの結果次第では情勢はどう傾くか分からない。
家の存続の為にも迂闊には動けなかった。
そして最後に戦力の問題。
トリステイン軍の規模次第では真っ向からぶつかって勝てる確証はない。
オデュッセウス皇子側の対応が遅れてツェルプストー家の軍のみで戦う事になればその負担はかなりきついものになるだろう。
さて、どうするか。
あまり考える時間はなかった。
いずれにせよ早急に行動しなければならない。
頭が痛い事態だ。

「お父様」

目の前の長女が書斎の机を叩く。
見上げると表情は酷く冷やかなのに苛烈な色を宿した瞳がこちらを見ていた。
厳しい口調で彼女は辺境伯を責め立てた。

「何故オデュッセウス殿下に味方しないのですか」
「テレイア、少し黙るのだ」
「いえ、黙りませんわ、お父様。一体いつまで日和見ているのですか」
「テレイア」
「先の疑惑ではルルーシュ殿下からも寛大な恩寵を受けておきながら、まだ動かないというのですか」
「テレイア!!」

彼の大声が書斎に響く。
これが長男を始めとする他の息子達であればその迫力に怯えて退散していただろうが、生憎目の前の長女は決して怯む事無く辺境伯の目を睨んだ。
忌々しげに心の中で呟く。
何で我が家はこうも女が強いのか。
妻や自分の妹も然り、次女も然り。
別の意味で頭が痛くなった辺境伯は呼び鈴を鳴らした。

「お父様」

部屋の外で待機していた騎士達がテレイアの肩に手を当て退室を促す。

「お嬢様」
「さっさと連れて行け」
「お父様、ここで何もしなければあなたの大切な家柄もお終いなのですよ!」

去り際の娘の言葉がやけに頭に残った。
そんな事は百も承知だ。
ここ数代続いた不祥事によりツェルプストー家の中央における政治的影響力は低下の一途を辿っていた。
この地方に根ざした資金的な力はまだ残されているが、これ以上権力面で力を落とせばトリステインに対する備えとしての役目を失ってしまう。
既に出遅れているのだから、介入するならば何か決定的なものが必要だった。
後れを挽回する様な重要な何かが。
ツェルプストー辺境伯が対応に悩んでいるその時、執事が来客を告げにやって来た。
どこか慌てた様子の執事に辺境伯は訝しげに尋ねる。

「誰が来たのだ?」
「そ、それがクロヴィス殿下です!」
「な、なにぃ!!」

勢いよく立ち上がり、そのせいで机の上に置いたペンなどが床に落ちるが辺境伯は構わず部屋を出ていく。
窓の外には数匹の風竜の姿があった。
しかしその首にはトリステインの刻印が刻まれた首輪がある。
一体何がどうなっているのか、辺境伯は混乱した。
勢いよく応接間に飛び込んだ辺境伯は夫人が驚いた様子でこちらを見ている事に気づいた。
そしてその対面のソファに座って涼しい顔で紅茶を飲んでいるクロヴィスが目に入る。
クロヴィスはツェルプストー辺境伯の乱暴な仕草を咎める事無く、にこやかに立ち上がった。

「お邪魔しております、辺境伯。この度はなんの連絡も無く突然こちらを訪ねた事、申し訳なく思っております。しかし昨今のゲルマニアの状況を鑑みるに少しでも急いだ方が良いと思いましてね」
「は、はあ・・・、い、一体どのような御用件でいらっしゃったのですかな?」

リズムを狂わされ、いつもの冷静な対応ができていない事を思い、辺境伯は咳払いをすると夫人の隣に腰かけた。

「手短に申し上げましょう。実は辺境伯には兵を出して頂きたいのです」

予想できた事だ。
辺境伯は用意しておいた言葉を口にする。

「我々もそうしたいと思っております。しかしこの地は宿敵ヴァリエール公爵と睨みあっている地でもあります。下手に動けばヴァリエール公爵が動きかねないのです」
「そう言われるだろうと思いました。ですから・・・このようなものを用意致しました」

クロヴィスは懐から二枚の紙を取り出した。
それを見て辺境伯は目を剥いた。
紙にはトリステイン王家の紋章が描かれている。
国の正式な文章の証だ。

「マザリーニ枢機卿とヴァリエール公爵のお二方にトリステイン王国のゲルマニアの内乱への不干渉を確約して頂きました」
「なッ!?」

思わず絶句する。

「私の側近、バトレーが万が一の場合を考えてトリステイン政府と交渉しておいた方が良いと言いましてね。そしたらトリステインの貴族がゲルマニアに侵攻したと言うじゃないですか。ですから進路を変更してヴァリエール領に向かい、途中公爵の元へに挨拶に伺ってこれを書いて頂いたのです」

親切に風竜まで貸してくれましたよと笑うクロヴィス。
辺境伯はマザリーニ枢機卿とアンリエッタ王女の署名がされた書状を手に取る。
日付はトリステインの諸侯軍が侵入した後になっているならばこれは現在のトリステインの正式な対応と考えて良いだろう。
すなわちゲルマニアに侵入した軍は一部の貴族の暴走という形で処理するつもりなのだ。
辺境伯はこの危なっかしい皇子の為した功績を考えて苦笑いをした。
これはクロヴィスの怖いもの知らずの行動力を褒めるべきか、それとも冷静に対応したマザリーニ枢機卿やヴァリエール公爵を褒めるべきか。
何はともあれ、トリステイン政府はオデュッセウス皇子側の方が有利と判断したのだろう。
クロヴィスの交渉を足掛かりとし、内乱後の交渉に役立てる気のようだ。
外国までも対応を決めてこれ以上自分が黙って言うわけにはいかない。
ヴァリエール公爵が不干渉を明言したおかげで軍を動かせるようになった。
さらにトリステイン政府と交渉したクロヴィス皇子を保護したという事実により、オデュッセウス側に遅れて参戦した言い訳も立つ。
そしてトリステイン軍の補給路と退路を断ち、オデュッセウス皇子達と協力してトリステイン軍の排除に努めれば十分な功績となる。
新体制でのツェルプストー家の立場もより強化されるだろう。
損得を瞬時に計算して、辺境伯は立ち上がった。

「承知いたしました!我々もゲルマニアの未来の為に戦いましょう!」

この瞬間にツェルプストー家とその影響下にある貴族達の皇子派での参戦が決まったのである。
今まで中立を保っていた西の大貴族ツェルプストー辺境伯の行動は他の貴族達にも波及していく。
中立を保ち日和見していた貴族達は瞬く間にオデュッセウス皇子を支持する意向を示した。
アルブレヒト三世を包囲する輪は次第に狭まっていた。
もしもアルブレヒトがクロヴィスを警戒し、動きを妨げていたのならまた結果は変わっていたのかもしれない。
アルブレヒトが真に警戒すべきはルルーシュだけではなかったのだ。






To be continued






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