帝国の兄弟 第8話


今まさにアルブレヒトの目の前でゲルマニアの巨星が墜ちようとしていた。
ゲルマニアの名だたる騎士達を束ねて国家の頂点に立った男が目の前に横たわっている。
土気色の顔、今にも止まりそうな弱い呼吸音が静かに室内に響いている。
あれほど壮健だった名君の面影は何処かへ消えさってしまった。
毒に体を蝕まれ、枯れた古木のように命の灯が消えかけようとしていた。
シャルル皇帝の寝所にいるのはアルブレヒトと数名の側近、そして皇帝付きの医師のみで、彼等はジッとベッドの傍に佇んでいた。
不意に部屋の中から荒い呼吸音が消え去る。
ハッと目を見開いたアルブレヒトはシャルルの瞼がゆっくりと持ち上がったのを見た。
澱んだ紫色の唇が微かに震える。

「アルブレヒト・・・、我が、子供達は・・まだか」
「今暫くお待ち下さい、兄上。皆こちらに向かって来ている所です」

布団の中からシャルルの手が伸ばされる。
筋肉が削げ落ち、弱り切ったその手を取ってアルブレヒトは励ましの言葉をかけた。
だが次の瞬間、シャルルの手に強烈な力が込められる。
己の手に走る痛みにアルブレヒトは慌てて手を振り解こうとするが、シャルルの手はまるでオークの様な強烈な力で締め付けてきた。
思わず覚えた恐怖にアルブレヒトの顔が歪む。
ギラリと睨みつけてくるシャルルの瞳はとても病人のものとは思えないほどに、生々しい怒りの意志を放っていた。
鬼のような形相がアルブレヒトを見上げている。

「ひぃッ!」

なけなしのプライドは恐怖の前に押し潰されていた。

「アルブレヒトよ、唯一の肉親故に情けをかけたにも関わらず、恩を仇で返すか。貴様を生かしておいた事が我が最大の失態であったか!」
「だ、だ黙れ!いつもこの俺を見下しおって!貴様を肉親と思った事など一度たりともないわ!」

引き攣った声で喚きながらアルブレヒトは腕を振り回す。
やがて力尽きたシャルルの手が掴んでいた手を離した。
自分の手に残った真っ赤な痕にゾクリと背筋を震わせる。
消えかけた命を炎を揺らしながらシャルルの目から急速に光が失われていく。

「覚えておけ・・・、貴様の所業、必ずや・・報いを受けるであろう・・我が子の、ルルーシュの・手で・・・」
「おのれ死にぞ来ないが!死ね!さっさと死ねぇえええ!!」

アルブレヒトの拳がシャルルの顔面を殴打する。
何度も何度も執拗に繰り返しぶつけられる拳は皮が剥がれ、血まみれになり、それでも狂ったように振り下ろされた。

「お止め下さい!」

側近達がアルブレヒトを羽交い絞めにして止め、医師がシャルルの脈を取る。
既にこときれていた。
殴打の痕で鬱血し腫れあがった死者の顔から血を拭き取って薄く開かれていた瞼を閉じてやる。
せめてもの死者への敬意、しかし偉大な皇帝に対して自分が行ってきた事に対する恐怖が途端に医師の胸に込み上げてきた。
体が震える。
一方、肩で息を整えるアルブレヒトは薄笑いを浮かべて部屋を後にした。
扉を勢いよく開き、大回廊を一歩一歩踏みしめるように歩く。
ついに望んだ瞬間が、待ち焦がれた瞬間が訪れたのだ。
玉座の前には既に多くの貴族達が集まっていた。
アルブレヒトを支持する者達ばかりである。
皆の前を堂々と歩き、アルブレヒトは玉座に腰かけた。
長年望んだ地位がついに己の手中にある。
手のひらに伝わってくる冷やかな感触が興奮し熱くなった体に心地よい。
何とも良い眺めだと数段高い場所から居並ぶ貴族達を見下ろして、しばし権力が齎してくれる陶酔感に浸った。

「皇帝陛下は崩御された」

アルブレヒトの声が謁見の前に響き渡った。
己の声がいつもより威厳に満ちているような錯覚を覚える。
誰もが続く言葉を待った。

「皇帝陛下の御遺言により次の皇帝には私がなる。余はこれよりアルブレヒト三世と名乗る」

一層声を張り上げてアルブレヒトは言った。

「だが!悲しい事に皇帝陛下の御遺言を無視し、己の欲望を満たすが為に乱を起こそうと企む者がいる。皇帝陛下の子供達である!彼等は病床の陛下の見舞いにも訪れず、自らの領地で兵を集めているのだ!」

その言葉が偽りの真実である事は皆が知っている。
だがそれを真実にする為に彼等は動き出す。

「ゲルマニア皇帝アルブレヒト三世が命じる。国家に反逆せし者共を全て滅ぼすのだ!」
「Yes, your majesty!」





「ルルーシュ!」

いつもならばルルと愛称で自分を呼んでくるミレイ・アッシュフォードの悲鳴のような声にルルーシュはついにその時が来た事を理解した。
魔法学院の寮の自室、読んでいた本を閉じ、予め用意しておいた荷物を詰めたカバンを肩にかけて、ルルーシュは部屋に飛び込んできたミレイを迎える。

「皇宮から兵士が!ルルーシュの身柄を拘束するって!」
「分かっている」

ドタドタと足音が廊下に響き渡り、ミレイとルルーシュは思わず手を杖にかけて身構えるが、部屋の中に飛び込んできたのは友人の姿だった。
リヴァル・カルデモンド、皇族であるルルーシュにも物怖じせずに話しかけてくれる数少ない友人。

「やべぇよ!あいつらなんかすっごい殺気立ってる」
「だろうな。おそらく最初から問答無用で俺を殺せと命じられているんだろう」
「ってお前なんでそんなに落ち着いてるんだよ!」
「落ち着け、リヴァル。こう言う時の備えは常に用意してある。」

ルルーシュが部屋の壁の隅を手で押す。
すると壁が一瞬光り溶けるように穴があいて左右に分かれ、ブロックの配列が変わり隠し通路が現れる。

「ルルーシュ、こんなの勝手に造ったのか!?」
「人聞きの悪い事を言うな。学院長には許可を取っている。あの人は父の友人だからな、理解してくれたよ」
「二人とも早く!」

ミレイに押されるように隠し通路の中に入り、ルルーシュは足早に先へと進んでいく。
後ろから二人の足音が追いかけて来る。
隠し通路の長さはそれほど長くはない。
学院を取り囲む高い壁を越えた辺りですぐに出口が目の前に現れる。
梯子を登り、扉の鍵を解除して開けば、そこは学院付近小さな森の中だった。

「ルルーシュ様!」

声に振り向く。
そこには馬に跨ったジノとアーニャが既に待ち構えていた。
さら二頭の馬をルルーシュ達の前に引いてくる。

「お迎えに上がりました。さあ、逃げますよ!」
「おい、ジノ、俺の分の馬はないのか?」
「あれ、リヴァルまで来ちゃったのか?ルルーシュ様とミレイの分までしか用意してないぞ」

まさか付いて来る気か。
ふう、とルルーシュは息を吐く。

「リヴァル、お前はすぐに戻れ。お前の家は南部の貴族だろう。俺の逃亡の手助けをしたとばれれば家族の身にまで危険が及ぶ」
「でもなぁ!俺だって困っている友達の為に何かしたいんだ!」

気持ちは嬉しい。
だが既に自体は困るというレベルを超えている。
家がルルーシュを支持するミレイやジノ、アーニャとは違い、リヴァルはまだゲルマニアの皇位継承戦争を傍観できる立場にいる。
これ以上大切な友人を血生臭い戦争に巻き込みたくはなかった。
ルルーシュは懐から一通の手紙を取り出した。
その白い封筒をリヴァルに手渡す。

「それを学院長に届けてくれ。頼む」
「わ、分かったよ」

ルルーシュの真剣な表情に気圧されてリヴァルが手紙を掴んで城壁の向こうへと消えていく。
それを視界の隅で捉えながら、ルルーシュ達は馬に跨って走り出す。

「こちらは馬だが、敵はおそらく風竜やグリフォンと言った幻獣に騎乗して追ってくるだろう。少し不便だがこのまま森を抜け、大街道を避けて北へ向かう」
「分かりました」
「ところでルルーシュ様、リヴァルの奴に重要そうな手紙、託してよかったんですか?」
「ああ、あれか」

ルルーシュがフッと笑みを浮かべる。

「どうせ中身はないした事は書いていない。ただの退学届だ。見られても問題はない」

そんな律儀な事をとジノとミレイが苦笑して、アーニャが首を傾げた。
それでも周囲に気を配りながら、四騎の影は森の中を駆け抜けていった。






To be continued






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