黒い指先は混沌に触れ「縫い付けられた視線の先に」


目を開けて初めて飛び込んできたのは白く輝く満月だった。
パチパチと数回瞬きをしてゆっくりと体を起こす。
自分が身につけている服はぼろぼろに破けていて袖と胸元がずり落ち、慌てて引っ張り上げて肩に引っかける。
一体何が起きたのだろう・・・
停止していた思考が徐々に回転を始めて、はっとなる。
自分の手を見つめて一本ずつ指を動かす。
痛みは残っているがスムーズに、自分の意思どおりに動いていた。
足も、肩も。
服の上から腹部や腰に手を当てる。
激痛が走り、辛うじて上げかけた悲鳴をかみ殺して顔を顰めた
衣服にこびり付けている乾いた血が指先に擦れる。
ハッと服をめくって肌の上に視線を走らせるが薄らと痕跡が残るだけで傷は消えていた。
確かに自分は大怪我を負っていたはずなのに・・・
ただひたすら記憶を蘇らせていくものの、そこに答えはなかった。

「怪我はまだ完全に治っていない。動けば傷口が開くぞ」

不意にかけられた声。
顔を上げて声が聞こえてきた方を見れば片足を抱きかかえながら木の幹にもたれて座る男の姿が目に入る。
どこか酷く疲れているようで色濃く残った疲労の痕跡が彼の顔を暗く染めていた。 口元には微かな笑みが浮かべられているにもかかわらず、じっと自分を見つめる目はひどく冷淡なものに感じられた。
ずっとそこにいたのだろうか。
気がつかなかった。
人の気配には一際敏感なはずの自分が言葉をかけられるまでその存在を感じ取ることができなかった。
警戒心を露にしながら上半身を向け、いつでも動けるようにと腰を浮かそうとして、

「あ、なっ・・・・」

力を入れた足はとても弱々しく震えて、立ち上がることはできなかった。

「動くなと言っただろう。死にたいのか?」
「今度こそ助けられないにゃ」

どこからか別の声が聴こえてくる。
男のものよりも幾分子供っぽい高めの声。

「貴様、誰だ・・・」

睨みつけ、その一挙一動までも注視する。
男は酷薄に笑い、再び口を開いた。

「命の恩人だ」
「何?」
「多勢にやられていたからな、気が向いたから助けてやった」
「ッ!・・・奴らか・・・」

しばし沈黙が続く。
お互いに視線を合わせたまま動かない。
一方は静かに殺意を漲らせて、一方は自然体のままで時間が流れていく。

「何が目的だ」
「聞きたい事がある」
「・・・何?」

男の目がさらに冷たくなったように感じた。
微笑も口元から消えている。
背筋がぞくりと震えた。

「お前が意識を失う直前に使った術、あれは誰に習った?」

しばし口を噤む。
沈黙を男はどう受け取るのか、睨むように反応を見る。
だがすぐにそれが間違いだった事に気づかされた。

「立場を理解するんだにゃ」

何かが自分の肩に乗った、そう思い肩に目を向けようとして彼女は地面に引き倒された。
背に何かを当てられたような感触がある。
咄嗟に抵抗をしようとして彼女は痛みに耐えながら全身に力を入れようとして、それが叶わない事を思い知らされた。
力が抜ける。
押さえつける力は決して強くないはずなのに、それを撥ね退ける事は出来なかった。

「くッ!?」
「シュヴァルツ、そいつの傷口が開くぞ」
「その時はその時だにゃ」

そのやり取りで自分の価値が彼らの中では限りなく低いものであると理解する。
諦めが口を開かせた。

「本国の左道府で習った」
「左道府?」
「ああ、左道士の育成機関だ。そこで適性のある者は一連の術について学ぶ」
「育成機関、ね・・・」

具体的に誰かが組み上げた独特の術式ではない、その事実にため息が零された。
彼女はそんな男の様子に怪訝なものを感じ取った。
何故それを知りたがるのか、しかし尋ねる事はしない。
相手方が優位に立っている事は痛いほどに理解している。
どれほど屈辱であろうと、ここは好機を待つべきだ。
それをあの時、方術士の女達を相手にした時に学んだはずだ。
震える手で地面の掻く。

「俺の気のせいって事なのか・・・?」

男が彼女から目を反らす。
背に乗った何かもスルッと下り、圧力が消え去る。
彼女はガバッと体を引き起こした。
体から迸らん限りにあふれ出す力を両手に集束させていく。
感情に呼応して集まる闇はいつもより深い。
そして怒りに任せてその黒い波動を男に向かって叩きつけるように放つ。

「喰らえっ!!」

左道が放たれる瞬間、男は僅かに目を見開くが座ったまま身動きせずにそれを見ていた。
そして、直撃――

「やめろよ、まだ話の途中だろ?」

男が無造作に手を前に出し、握りつぶすようなしぐさをとると放った術が弾けとんだ。

「なっ!?」
「ちょっとは大人しく人の話を聞け」

ゆっくりと立ち上がり、近づいてくる。
細められた目が剣呑な光を放ち始めていた。

「なあ、いきなり攻撃するなんてマナー違反だと思わないか?」

すっと頤に人差し指を当てられて上を向けさせられる。
そして出会ったのは二つの黒い瞳だった。
黒く輝く宝石の中で閉じ込められた紫色の炎が暴れるように凶暴な光と気配が放たれていた。
つぅと頬を汗が流れていく。
抵抗することも忘れたかのように体は動かなかった。
手足の存在が感じられず、意識が飲み込まれそうになる。

「ぁあぁ、あ・・・」

感じ取っていた。
原初の掟とも言うべき弱肉強食の定め。
それが体を支配していた。
上位者としての格をもって男は存在していた。

「ちゃんと理解しろよ?俺は美人は壊したくないからな」

体を縛る圧力が少しだけ弱まる。

「治療費として当分は道案内でもやってもらおう」

言葉が首輪となって束縛する。

「俺は九峪だ。よろしく」
「ぁ、あぁ・・・」
「名前は?」

僅かな躊躇いの後、口を開く。

「深川だ・・・」

こんな悪魔のような奴に捕まった、深川は己の境遇を嘆いた。
しかし逃げることなど許されていなかった。
出来るのはただ頭を縦に振る、それだけだった。





To be continued



Back】 【Next】 【Back to Index


inserted by FC2 system